スパイ防止法とは 

運動の歴史

スパイ防止法案

反対勢力の実体

スパイ防止法が
必要なこれだけの
理由

スパイ防止法制定運動の歴史
昭和54年(1979)
  2月24日「スパイ防止法制定促進国民会議」発足。サンケイ会館に有識者300名。
4月15日 機関紙「平和と安全」創刊。月刊、タブロイド紙。
6月13日 全国初の地方議会議決。高知県佐川町議会で制定を求める意見書を採択。


昭和55年(1980)
  1月18日 自衛隊スパイ事件発覚(コズロフ・富永事件)
3月28日 全国初の県議会議決。福岡県議会において、51対32で意見書を可決。


昭和57年(1982)
  7月 2日 スパイ防止法第2次案発表。自民党法令整備小委員会(有馬元治委員長)、
      第1次案に続き第2次案を発表。
10月20日 都道府県議会議決が過半数を突破。徳島県議会が24番目の意見書採択。
12月 2日 元KGB少佐レフチェンコ氏の米議会での証言を毎日新聞がスクープ。


昭和59年(1984)
  8月 6日 自民党、スパイ防止法第3次案を発表。

昭和60年(1985)
 

6月 6日 自民党、スパイ防止法案(第3次修正案)を第102通常国会に提出。「国家秘密に
      係るスパイ行為等の防止に関する法律案」、議員提案で衆議院へ。
6月25日 衆議院本会議、36年ぶりの記名投票(245対213)でスパイ防止法案の継続審議
      を決定。
12月20日 スパイ防止法案、衆議院内閣委員会で廃案。

昭和61年(1986)
  2月25日 自民党、「スパイ防止法制定に関する特別委員会」を設置。(委員長に松永
      光元文部大臣)
4月 2日 自民党スパイ特別委、スパイ防止法第4次案を発表
4月22日 「全国決起大会」第104通常国会での法案再提出を期して有識者、各県代
      表など、3,000人が総結集。於曰比谷公会堂。自民党から藤尾正行政調会
      長、宇野宗佑幹事長代理が挨拶/細川隆一郎氏が記念講演、デモ行進。
12月 9日 スパイ防止法制定促進東京都民会議、自民党本部で支援大会開催(700名)。


昭和62年(1987)
 

6月23日 映画「暗号名黒猫を追え!」上映会(於東商ホール)、以後全国で上映運動を
      進める。
7月14日 大阪でサンケイ新聞に全面意見広告。8月18日には東京、関東、東北でも
      全面意見広告。
12月10日 自民党、特別委を「防衛秘密外国通報行為等防止法制定に関する特別委員
       会」に名称変更、(委員長に箕輪登元郵政大臣)。

昭和63年(1988)
 

2月18日 自民党スパイ特別委、同党国会議員に対し、法案説明会を19,23日と3日間
      にわたって開催。合わせて216人の議員が出席、党内の合意を得る。
3月 自民党、法案の国民に対する啓蒙を目的に全国で法案説明会を開くことを決定。
         4月23日には、岐阜市で第1回説明会を開催。
5月22日 群馬県前橋市でスパイ防止法案の説明会。森清代議士(スパイ法特別委委
      員長代理)がスライドで法案説明を行った。以後、全国各地で開催。